第1回(前編)うるの 拓也さん / マンガ家
記念すべき第1回のゲストはマンガ家のうるの拓也さん。今瀬ヤスオが主人公のマンガ、「失敗社長」を描いてくださった、まさに今瀬ヤスオの快進撃のきっかけを作ってくださった方です。順風満帆に見えますが、人生のどん底を何度も経験したことのある、うるのさん。今瀬ヤスオとのリベンジ対談をお楽しみください。
うるの僕たちがぶっ通しで24時間コンサルティングをやったときに修さんが来ていただいたのがリバティハウスさんとの出会いでしたね。明け方でもう誰もこないだろうと思ったときだった(笑)
今瀬もう切羽詰まってたんですよ。たまたまチラシを見て伺ったのがきっかけでしたが、こちらも予算が無かったので「払えないなら払えるようにしてあげます」とうるのさん達に言われたときには、一瞬この人は何を言っているんだろう?とびっくりしました。正直もうだめだろうと思っていたんですよ、もう神様も味方してくれないんじゃないかと。なんとか事態を収拾してこの窮地を乗り切る事しか頭にありませんでした。そこで「払えるようにしてあげましょう」の一言。信じてもいいのかが半分、お金がかからなくていいんだという安心が半分。でももう一度チャレンジできるんだ。そう勇気づけられたのは大きかったですね。
うるの僕たちにしてみれば(リバティハウスは)とてもポテンシャルの高いお客様でした。やれることはたくさんある!お話を伺ってそう直感しましたね。
今瀬あの優しさが身にしました。もう周りからいろんな人が離れていきましたので、優しい言葉ひとつかけてくれる人はいなかったんです。まさに地獄に仏でした。そして自分の失敗人生を公開しろと勧めてくれたのも、うるのさんでした。そのアドバイスは私自身の人生に大きな影響を与えました。倒産を経験してもう自分の人生総括したつもりでしたが、まだすべて吐き出したわけではなかったんです。
倒産経験はすごく美味しいコンテンツだと思った(うるの)
何も残らない位、恥も外聞もなくさらけ出した経験は初めて(今瀬)
うるの僕達から見れば倒産経験はすごく美味しいコンテンツだったわけで(笑)、そんな経験をしている方が全国にそうたくさんいるわけではない。僕はマンガ家なので主人公をとことん窮地に追い込んで復活させるストーリーが得意。社長の失敗談を使わない手は無いだろうと考えたのです。ピンチとなると10倍チャンスだと結構ワクワクしてしまうんですよ。
今瀬うるのさんのような方と会ったと言う事は、私がついてない人生の中で幸運だったということでしょうね!今になって分かったのは全部吐きだしたのが良かった。最初作成した文章は息子から突き返されたんですよ。こんな上っ面の文章は誰も読まないよ!と。それで正気になって書き直したのですが、何も残らないぐらい全てさらけ出したから、もう隠すことがなくなったんですよ。
うるのそう!それがすごく大事なんですよね!あれから楽になってるでしょ。漫画の中で社長は犬になったり号泣したり、常に漫画家の目線で社長をいじらせてもらったことが結果的に良かったみたいです。ただ1つ言えるのは、ずっとかっこいいだけで正論だけ吐いてるヤツはダメなんです。一般の人には心が伝わらない。
今瀬もう怖いものはないですね。さらけ出した時に初めて一歩前に出れた。どんなこともやれるし、元気が出てきました。それが今の人生相談にもつながってきています。さらけ出したことで自分の心の中に何かが生まれた、それを引っ張り出してくれたことで、形になった。これをやるために生まれてきたんではないかとまで思える位です。
すべてを失ったところから、リベンジ人生がスタートしたんです(うるの)
もう今は人生最高の状態(今瀬)
うるの僕は12年前時に一度すべてを失いかけて自殺未遂をしてるんですよ。収入もないどうにもならない、死んで保険金をもらえば家族が助かるんじゃないかと、妻とどちらが死ぬかで夫婦喧嘩までしたことがある。それは当時のビジネスパートナーと30億を超える仕事の契約を取れるというところまで行って契約寸前でダメになった。そしてクビになった。投資してたもの回収できない、無一文になったんです。子供も難病にかかってしまい、治療費もどうしようかと。
その時にとある人から「あなた1度も勝負してないでしょう」そうズバリ言われたのです。「あなたはあなたの価値を生かしきれていない、死んでもしょうがないからやるだけやってみたらいいじゃない」、そう言われて開き直ったところに小さな仕事から舞い込んできたのです。5千円とか1万円とか、小さな小さな仕事でした。それが重なって大きなお金になった。そうか会社とかブランドとかではなくて僕とお客様の関係なんだ、そう気づいたのです。その小さな仕事が生きていくための糧になり、徐々に仕事が増えてきたのです。
僕は全部なくしたと思っていた。お金もお客様も。そうか自分を買ってくれたんだぁそう思ったときに全て世界が変わった。怖くない、だんだん切り替わってきて、どんどんやってみるしかない。そう頭が切り替わったのです。今までカッコつけて作っていたホームページも自分をさらけ出すようなテイストに変えたところ一気に注文を舞い込むようになりました。結局人は人しか買わない、僕はそれが良く解りました。それはきっとリバティハウスさんのサービスでもきっと同じものがあると思います。
今瀬私も大型倒産の後かなり生活が荒んで毎晩飲みに行って泥酔してさまよっていた時期があった。その時にどん底で頭に浮かんだのです。「もういいんじゃないか、もう自分を勘弁してやれ」と。もう次に行こうそう思ったら不安がなくなったのです。そしてうるのさん達との出会い、それが大きなターニングポイントですね。今は日に日に前向きになって・・・もう人生最高の状態です。
うるの僕もそうですよ。いちど開き直った方が前向きなれる。すごく楽にはなる、体も心も。ストレス少ない。ただ安易な気持ちでフリーランスになったりすることはあまり賛成しない。結構厳しい世界ですよ、まさに弱肉強食。でも僕はマンガという天職を見つけてしまったので、死ぬ瞬間まで後悔のないように、好きなことをがむしゃらにやって生き抜きたい、そう思っています。人生は終わってしまったらそれまでだから。小規模だけれども自分にしかできないことをやっていると自負しています。「うまくやっていますね。うちも真似したいですよ」と良くいわれるんですが、それなら僕の人生、自殺未遂なんかも含めて全部トレースしてくれと(笑)
今瀬私もうるのさんもある意味妥協できない性格なんだけど、最初から順調な路線できたかというとそうではなくて、苦労をしていくうちにそうなってしまったというか。
うるのここで折れたら人じゃないんじゃないの?ということを何度もやってきたあげくに、最後のここだけは譲れないところまでいっちゃった、それが今の自分。これからまだひと山もふた山もあるし、今までのことなんて助走だったと思えるくらいのどん底が来るかもしれない。逆に高い山に上がっていくかも、どっちにしても来るものは来い、という感じ。
今瀬私達のような生き方はもしかしたらすごく辛いかも知れないけれど、生きたいように生きられるわけで、その方が楽なのかもしれないですよね。
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ビデオダイジェスト
うるの 拓也 プロフィール
うるのクリエイティブ事務所代表。漫画家・広告プロデューサー。
85年、漫画家として少年ジャンプにてデビュー。連載経験を経て87年より都内広告代理店にて広告デザイナーに転向。91年おより再独立。いち早くDTPデジタル制作に着手する一方、キャリアを生かしたマンガ広告を多数手がける。
95年より拠点を出身地である茨城に移し、同時にホームページ制作に着手。現在は、公共、大手、中小、個人などの数多くのホームページを担当する他、マンガ広告の執筆、若手漫画家の育成、地域でのボランティア活動等、様々な分野で精力的な活動を続けている。
うるのクリエイティブ事務所
http://www.urutaku.com